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桜が咲き始めている。

#夢日記
 水をまとった男が、ドレスを着た少女を連れて優雅に走っている。絵のなかのできごと。公園の大きな池のほとりの、先端に噴水のあるウッドデッキを駆けていく画がとても美しい。私は本を閉じて書棚に戻す。一階に降りると、子供が、赤ちゃんの頃と今の姿と2人に分裂してお互い不思議そうに顔を見合わせている。

断片

猫の13歳の誕生日。ダイソーで買ったバースデーバルーンに金色のマーカーペンで名前や日付、ガーランドを描き足し、特製バースデープレートと折りたたみ式のキャットハウスを進呈。誕生日を迎える度にいつか訪れる別れが頭をよぎるが、猫は何も恐れず、ただひたすら今だけを生きている。

山下澄人「砂漠ダンス」#読了
砂漠に行く男。意識がコヨーテに乗り移り砂漠を疾走するあたりの浮遊感がよかった。禁欲的な語り手かと思いきや女を誘えばよかったと繰り返し後悔するあたりが面白かった。途中まで訳がわからないが、少しずつ、「これがやりたかったのか」が見えてくる。
実は図書館の除籍本コーナーで「あ、『しんせかい』の人だ。そういえば未読の作家だ」と思って貰ってきた本なのだが、何回貸し出されたのか綺麗な状態でページも人の手にこなれておらずかたい。読んでみると確かに、純文学の極北をゆく作風と言うべきか、これは人を選ぶなと納得。個人的には苦手ではない。というか面白いのに。他の作品も読んでみようと思う。

日記

山下澄人「砂漠ダンス」を読んでいる。一人称だが何を考えているのかまったくわからない、異物の語り手。

散歩中、砂場を誰かが掘り返したあとを発見した子供、そこがただの地面ではないことに気づく。穴に足を入れ、砂を掻きまくり、どんどん埋まっていきながら声を上げて笑っていた。おもしろい、世界はこんなにもおもしろいのだ。砂場用のスコップと小さいジョロを買おうと思った。

働いていた頃、帰りの電車に乗るとほっとした。出張帰りの新幹線など最高だった。何も考えなくていい、何もしなくても、「家に向かう」という任務が進んでいく。そして私は水をひとくちふたくち飲んだり、本を読んだりしているだけでいい。逆に、着くまではそれしかできないのだ。不自由で、だからこそ圧倒的に自由だった時間。育児中の今も、もしかしたらその「移動時間」なのかもしれないと思う。

日記

小川洋子「完璧な病室」を #読了
表題作のほか、海燕新人賞を受賞したデビュー作「揚羽蝶が壊れるとき」、「冷めない紅茶」「ダイヴィング・プール」を収録。おお80年代だ、と思った。表題作と「ダイヴィング・プール」にはいずれも「孤児院で育った孤児ではない子供」が出てくるのだが、閉鎖的なコミュニティのなかで特権的な異分子でありながら、それゆえに決定的に孤独な存在というのが、個人的に抱いている80年代的な実存のイメージにしっくりきた。

日記

近所の公園へ散歩。先日お邪魔した児童館の職員さんがちょうど外に出てきたところで挨拶してくれる。
子供は散歩の犬を発見して「ワンワン、ワンワン」と指さしていたが、ヨチヨチ近寄って行ったところ吠えられて腰を抜かしていた(犬は尻尾を振っていた)。
茶色のトイプードル、飼い主さんによると11歳とのことだったが毛並みも良く、暖かそうな服を着て大切にされているのが伝わってきた。

午後は自分の病院へ。薬局にいるあいだに14:46を迎えた。待合室のテレビでは当時の緊迫したニュースなどがそのままに流されていて、15年経ってもどこかにまだ傷があることを教えていた。私の、また、この世界の誰かの。

日記

苺を食べ、ミルクを飲んだ子供の、乳歯と吸啜窩が同居している小さな口から甘い香りがする。
私はこのような瞬間のために生まれてきたのだ――とこそ思わないものの、完璧にはほど遠い親であっても、今日子供は苺を食べミルクを飲み、その香りがあどけない口元に残っているのだという事実に許されているような気がする。

日記