No.259, No.258, No.257, No.256, No.255, No.254, No.253[7件]
ひどい頭痛。ゴールデンウィーク中は気圧の変化に注意、とYahooニュースに出ていた。気象病も広く知られるようになったのだなあ。
#menu 霊長類学者がアフリカのジャングルで食べた昆虫料理 ― 山極寿一「人生で大事なことはみんなゴリラから教わった」より
!虫の苦手な方はご注意ください!
ゴリラ研究の第一人者である山極寿一(やまぎわ・じゅいち)先生。
京都大学の第26代総長をはじめ、数々の重要なポストを歴任してきた山極先生が、ゴリラを追い続けた半生を振り返るエッセイ集「人生で大事なことはみんなゴリラから教わった」より、衝撃の昆虫料理をご紹介します。
ゴリラに魅せられ、ゴリラを通じて人間を見つめ続けてきた山極先生の、人生のエッセンスが詰めこまれた本書。
まず印象的なのは、京都大学の学生だった頃から衰えないフィールドワーカーとしてのタフネスでしょうか。
日本の屋久島からコンゴ共和国のジャングルまで、生活上の不便や文化の違いをものともせず、現地の生活にとけこみながらゴリラを追い求め、ときにはジャングルで野宿をしながら観察を続ける。ケタ違いの適応力に驚くばかりです。
なかでも、現地の人びとに受け入れられたのは、山極先生がその地域の食文化に敬意を払い、みんなと同じものを楽しんで食べたことも大きいかもしれません。
そのひとつが、引用に掲げたジャングルの虫でした。食べられるイモムシは何種類もあり、シロアリは特においしかったとのことです。ゴリラも虫を食べるそうですから、山極先生はゴリラにもまた近づくことができたような気持ちだったのかもしれません。
食べるといえば、ゴリラや猿の仲間は、食べ物を一緒に囲んで食べるということをしないということも本書で改めて知りました。
猿は強い者から順に食べ物を手にできるし、ゴリラはシルバーバック(成熟して背中の毛が白くなったオス)がメスや子供に食べ物を分けることがあるけど、しぶしぶなんだとか(笑)
人間みたいに、みんなで食卓を囲んで友好を深めるのって実は凄くユニークなことなんだそうです。その視点はなかったなぁ……。
本書は比較的やさしい文章で書かれ、少し難しい単語には脚注がついていたりします。終盤は、ゴリラを通して人間を見つめ続けてきた著者ならではの人生哲学が語られており、小学校高学年から高校生くらいの子供たちにぜひ読んでもらいたいなと思う内容でした。
脳の容量から考えて、人間が安定的な関係を維持できる人数の上限は150人くらいなんだそうです(あとで調べたら、『ダンバー数』という概念でした)。
ゴリラと人間の対比でそんなことも書かれていて、自分にとっての150人は……と、つい考えてしまいました。
それにしても、おいしいイモムシってどんな味なんだろう……知りたいような、知りたくないような。
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!虫の苦手な方はご注意ください!
ゴリラ研究の第一人者である山極寿一(やまぎわ・じゅいち)先生。
京都大学の第26代総長をはじめ、数々の重要なポストを歴任してきた山極先生が、ゴリラを追い続けた半生を振り返るエッセイ集「人生で大事なことはみんなゴリラから教わった」より、衝撃の昆虫料理をご紹介します。
見ると、大きなとげのある、赤っぽいいも虫が、張りついている。きれいだなと思うと同時に、それがモクモク動くのを見て、少し気味が悪くなった。
すると、その青年はそれをつまみ取って、クズウコンの葉っぱに包んだ。あちこちに同じ虫が、張りついている。それを見て、みんないっせいに、虫を採集し始めた。いったい、こんな虫をどうするんだろう。
聞いてみると、これはおいしいんだと言う。ヤシ油でいため、塩で味つけをして食べる。実際、そうして料理されたいも虫をごちそうになった。悪くない味である。
ゴリラに魅せられ、ゴリラを通じて人間を見つめ続けてきた山極先生の、人生のエッセンスが詰めこまれた本書。
まず印象的なのは、京都大学の学生だった頃から衰えないフィールドワーカーとしてのタフネスでしょうか。
日本の屋久島からコンゴ共和国のジャングルまで、生活上の不便や文化の違いをものともせず、現地の生活にとけこみながらゴリラを追い求め、ときにはジャングルで野宿をしながら観察を続ける。ケタ違いの適応力に驚くばかりです。
なかでも、現地の人びとに受け入れられたのは、山極先生がその地域の食文化に敬意を払い、みんなと同じものを楽しんで食べたことも大きいかもしれません。
そのひとつが、引用に掲げたジャングルの虫でした。食べられるイモムシは何種類もあり、シロアリは特においしかったとのことです。ゴリラも虫を食べるそうですから、山極先生はゴリラにもまた近づくことができたような気持ちだったのかもしれません。
食べるといえば、ゴリラや猿の仲間は、食べ物を一緒に囲んで食べるということをしないということも本書で改めて知りました。
猿は強い者から順に食べ物を手にできるし、ゴリラはシルバーバック(成熟して背中の毛が白くなったオス)がメスや子供に食べ物を分けることがあるけど、しぶしぶなんだとか(笑)
人間みたいに、みんなで食卓を囲んで友好を深めるのって実は凄くユニークなことなんだそうです。その視点はなかったなぁ……。
本書は比較的やさしい文章で書かれ、少し難しい単語には脚注がついていたりします。終盤は、ゴリラを通して人間を見つめ続けてきた著者ならではの人生哲学が語られており、小学校高学年から高校生くらいの子供たちにぜひ読んでもらいたいなと思う内容でした。
脳の容量から考えて、人間が安定的な関係を維持できる人数の上限は150人くらいなんだそうです(あとで調べたら、『ダンバー数』という概念でした)。
ゴリラと人間の対比でそんなことも書かれていて、自分にとっての150人は……と、つい考えてしまいました。
それにしても、おいしいイモムシってどんな味なんだろう……知りたいような、知りたくないような。
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久々に子供と公園へ。大きな黒い蝶を見かけた。黒地に紅い模様、クロアゲハと思われる。ツツジの花の蜜を吸っていて、飛ぶのがとても速かった。他にモンキチョウやシジミチョウの仲間らしき白黒まだら模様の小さな蝶も見かけた。こちらはふわふわ頼りない飛び方。コガネムシの仲間のような黒い甲虫もいて、つつくと死んだふりをしていた。
午後は図書館へ。子供のための絵本10冊と、自分用に今村夏子「とんこつQ&A」、エイキン「しずくの首飾り」を借りる。とんこつQ&AはAudibleで既読だが、書架にあるのを見て再読したくなったので。
午後は図書館へ。子供のための絵本10冊と、自分用に今村夏子「とんこつQ&A」、エイキン「しずくの首飾り」を借りる。とんこつQ&AはAudibleで既読だが、書架にあるのを見て再読したくなったので。
#menu 小留知先生のイラクサのスープ―堀江敏幸「イラクサの庭」より
誰かの抱えた痛みの気配にふれるのは、このスープを味わうようなものなのかもしれません。
堀江敏幸の短篇小説「イラクサの庭」より、複雑な味のするイラクサのスープをご紹介します。
『小留知(おるち)先生』は若い頃にフランス料理を学び、『雪沼』と呼ばれる地域で料理教室とレストランを営んできた女性です。もともとは東京の外れから移住してきたのですが、料理教室の生徒さんやご近所さんにも慕われ、すっかり地域に根づいて長年暮らしてきました。
そんな彼女が体調を崩してあっという間にこの世を去ってしまったのが数日前のこと。物語は、彼女に縁のあった人びとがしみじみと語り合う場面から始まります。
語り手の実山さんは、もともとは料理教室の生徒でしたが、徐々に小留知先生のアシスタントのような立場となって彼女の晩年を支えてきました。ついには臨終にも立ち会った実山さんですが、先生の最期の言葉をうまく聴きとれなかったことを気に病んでいます。
『コリザ』。
先生はそう言ったように聞こえたのですが、果たして『コリザ』とは?
思い出話に花を咲かせるうち、小留知先生が蔵書の一冊のある部分に下線をひいていたことを知った実山さん。一見何の変哲もない描写に、なぜ先生は惹きつけられたのか。
考えをめぐらせた実山さんは次の瞬間、『コリザ』の正体に思い至るのでした。
堀江敏幸が描く『雪沼』の空気はひんやりと澄んでいて、どこか秘密の匂いがします。
本作に登場する『イラクサのスープ』は、その象徴のように感じられました。今際の言葉『コリザ』、そしてイラクサに囲まれた庭の中に小留知先生が抱えつづけていた、胸をえぐられるようなある秘密。
敬愛する先生の分身ともいえる料理でありながら、実山さんがどうしても受けつけられなかったその味は、読んでいるこちらの舌にまで、ヒリヒリとした痛みを伴って伝わってくるようです。
静かな夜、スープの湯気の向こう側に、誰にも言えない秘密を隠し持っている人にこそ、この一冊を手に取ってほしいと思いました。
本作は短篇集『雪沼とその周辺』に収録されています。表題のとおり、雪沼と呼ばれる地域に暮らす人びとを描く8作品がおさめられています。雪沼の人びとは、言ってみればどこにでもいる普通の人たちですが、物語は紋切り型の解釈を許さず、彼らの人間としての深淵、断層が顔をのぞかせる瞬間を緊迫感と共に捉えています。静謐さと、厳しくも優しいまなざしを感じる筆致です。
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誰かの抱えた痛みの気配にふれるのは、このスープを味わうようなものなのかもしれません。
堀江敏幸の短篇小説「イラクサの庭」より、複雑な味のするイラクサのスープをご紹介します。
つくり方はじつに簡単だった。若いイラクサを摘んで葉をむしり、賽の目に切ったジャガイモ、たまねぎといっしょに三十分ほど煮込み、ミキサーにかける。鍋に戻して塩、胡椒で味をととのえ、仕あげに生クリームをくわえる。実山さんは、このとき生まれてはじめて外国製のミキサーを見たのだった。味のほうは、おいしいといえばおいしい、そうでないといえばそうでないとしか言えなかった。草の匂いがぷんと鼻について苦みと酸味のわりあいが一定せず、口に入れるたびに舌の表と裏で刺激がくるくる変化するような感覚だった。
『小留知(おるち)先生』は若い頃にフランス料理を学び、『雪沼』と呼ばれる地域で料理教室とレストランを営んできた女性です。もともとは東京の外れから移住してきたのですが、料理教室の生徒さんやご近所さんにも慕われ、すっかり地域に根づいて長年暮らしてきました。
そんな彼女が体調を崩してあっという間にこの世を去ってしまったのが数日前のこと。物語は、彼女に縁のあった人びとがしみじみと語り合う場面から始まります。
語り手の実山さんは、もともとは料理教室の生徒でしたが、徐々に小留知先生のアシスタントのような立場となって彼女の晩年を支えてきました。ついには臨終にも立ち会った実山さんですが、先生の最期の言葉をうまく聴きとれなかったことを気に病んでいます。
『コリザ』。
先生はそう言ったように聞こえたのですが、果たして『コリザ』とは?
思い出話に花を咲かせるうち、小留知先生が蔵書の一冊のある部分に下線をひいていたことを知った実山さん。一見何の変哲もない描写に、なぜ先生は惹きつけられたのか。
考えをめぐらせた実山さんは次の瞬間、『コリザ』の正体に思い至るのでした。
堀江敏幸が描く『雪沼』の空気はひんやりと澄んでいて、どこか秘密の匂いがします。
本作に登場する『イラクサのスープ』は、その象徴のように感じられました。今際の言葉『コリザ』、そしてイラクサに囲まれた庭の中に小留知先生が抱えつづけていた、胸をえぐられるようなある秘密。
敬愛する先生の分身ともいえる料理でありながら、実山さんがどうしても受けつけられなかったその味は、読んでいるこちらの舌にまで、ヒリヒリとした痛みを伴って伝わってくるようです。
静かな夜、スープの湯気の向こう側に、誰にも言えない秘密を隠し持っている人にこそ、この一冊を手に取ってほしいと思いました。
本作は短篇集『雪沼とその周辺』に収録されています。表題のとおり、雪沼と呼ばれる地域に暮らす人びとを描く8作品がおさめられています。雪沼の人びとは、言ってみればどこにでもいる普通の人たちですが、物語は紋切り型の解釈を許さず、彼らの人間としての深淵、断層が顔をのぞかせる瞬間を緊迫感と共に捉えています。静謐さと、厳しくも優しいまなざしを感じる筆致です。
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てがろぐVer. 4.8.0にアップデート。
1歳児を自宅で見ながら隙間時間を見つけて小説執筆、読書、ブログ運営、さらにもうひとつブログを増やしたいとなると、どう考えても時間が足りない。
時間が足りない、で立ち止まらないために一歩踏みこんで考えると、何かは妥協する必要があるということだ。メインブログの更新ハードル(記事の内容水準)を限りなく引き下げると共に、ここパペログμで記事の下書きをアップしていくことにしようと思う。ということでメモ用に記事カテゴリ「パペログ」、ハッシュタグ #menuを新規作成。
1歳児を自宅で見ながら隙間時間を見つけて小説執筆、読書、ブログ運営、さらにもうひとつブログを増やしたいとなると、どう考えても時間が足りない。
時間が足りない、で立ち止まらないために一歩踏みこんで考えると、何かは妥協する必要があるということだ。メインブログの更新ハードル(記事の内容水準)を限りなく引き下げると共に、ここパペログμで記事の下書きをアップしていくことにしようと思う。ということでメモ用に記事カテゴリ「パペログ」、ハッシュタグ #menuを新規作成。
テレビのリモコンを適当に操作していて変な画面に変えてしまった子供。テレビを壊したと思ったのか慌てて私の母のもとへ駆けてきて膝によじ登り、ぴたっとくっついて離れなくなったとのこと。
人との出会いはときとして素晴らしいものですが、ほろ苦い教訓を残していくことも多いもの。
今村夏子の短篇「冷たい大根の煮物」より、そんな人生の滋味を感じる煮物をご紹介します。
主人公(『わたし』)は、最近ひとり暮らしを始め、プラスチック工場で働いている19歳の女性。まだ「女の子」と言ってしまっていいような若さですね。
プラスチック工場での仕事は面白くないけれど、念願だったひとり暮らしを続けるために頑張っている主人公。その食生活はカップ麺に弁当、菓子パンと、控えめに言って崩壊しています。
ある日、同じ工場に勤める『芝山さん』という中年女性と知り合いになります。ひとり暮らし先の近くにある激安スーパーを紹介してくれと一方的に頼まれ、断れなかった主人公。ところがこの芝山さん、『お金を借りて返さない』と言った悪い噂があるようで、主人公はだいぶ身構えてしまいます。
さて、激安スーパーにご満悦の芝山さん。主人公の食生活が前述のとおり大崩壊していることを知ると、ひとり暮らしの狭い家に押しかけて手早く料理を作ってくれました。
いつしか、買い物ついでに料理を作り置きしてくれる芝山さんに慣れた『わたし』。芝山さんは芝山さんで、自分の家族の分まで主人公宅で調理して光熱費をフリーライドしていたりもするので、Win-Winというか共生というか、そんな関係性に落ち着きました。
芝山さんの悪い噂を鵜呑みにして警戒していた自分を恥じる主人公。そんなある日——。
この話、後味がいいわけではないものの、どこかハッピーエンド感があるのが不思議です。厚かましく図々しくありながら、面倒見がいい面もある芝山さんの人物像が魅力的だからでしょうか。
カップ麺や菓子パンくらいしかない家で育ったという『わたし』が、外の世界の洗礼を受けて、本当の意味での自立へと、一歩踏み出した印象があるからかもしれません。『搾取してくる冷たさ』と、『気にかけてくれる温かさ』という人間の両面を、彼女はうまく飲み込んだように私には見えました。
本作が収録されているのは短篇集「とんこつQ&A」。表題作含め、粒ぞろいの面白い短篇が4作収録されています。
私は初めAudibleで聴いたのですが、本当に「解釈一致」と膝を打ちたくなる素晴らしい朗読で、紙面で読むのとは別の楽しい読書体験ができました。
さて、ほろ苦く冷たくて、でも消化には優しい「冷たい大根の煮物」。
そんな料理に心当たりはありますか?
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リライト分
音までおいしいホットケーキ — わかやまけん「しろくまちゃんのほっとけーき」より
ホットケーキが焼ける場面に、子供のころ夢中になったという人も多いはず。
わかやまけんの絵本「こぐまちゃんシリーズ」の傑作「しろくまちゃんのほっとけーき」より、あの名場面を振り返ります。
1972年の刊行以来、300万部以上も刷り重ねられてきたロングセラー絵本。ページをめくれば、あの鮮やかなオレンジ色の背景と、ホットケーキの焼ける香ばしい匂いが、何十年という時を超えて鼻腔をくすぐります。
特筆すべきは、中盤の見開きいっぱいに描かれた調理場面のオノマトペ。
フライパンの上で生地が変化していく様子を、「ぷつぷつ」「ふくふく」といった魔法の擬音で捉えたこの場面は、日本の絵本史に残る最高峰のシズル感と言えるでしょう。
私が子供だった頃、母は子供達に何度も「しろくまちゃんのほっとけーき」の読み聞かせをねだられ、ついにはキッチンからそらで読み聞かせをするまでになっていたそうです(笑)
私の子供も、生後数ヶ月から、コントラストの強い鮮やかな色彩と心地よいリズムに目を輝かせていました。
なぜこれほどまでに、私たちはこの絵本に惹かれるのでしょうか。
それは、しろくまちゃんが材料を揃え、がたごと揺れるボウルを必死にまぜ、自分の手で焼きあげる「自立と達成の物語」だからかもしれません。
最後には友達のこぐまちゃんと分け合って食べる食卓の温かさ。この本には、人間が「食べること」に抱く根源的な喜びのすべてが詰まっているようです。
【一皿の再現:しろくまちゃん風ホットケーキ】
絵本を読み終えたら、ぜひ台所へ。
材料: 卵1個、牛乳150ml、薄力粉200g、砂糖大さじ2、ベーキングパウダー小さじ2。
コツ: フライパンを一度濡れ布巾で冷ますこと。これで、絵本のようなムラのない焦げ茶色が手に入ります。
かつて母がキッチンから(そらで)読み聞かせてくれたあの声。
今度は私が我が子に、焼きたての湯気の温かさや、誰かと食べる嬉しさと共に、この物語を伝えていこうと思います。
それではどうぞ、童心にかえって召し上がれ。畳む
受け取ってもらえなかった手作りクッキー — 今村夏子「木になった亜沙」より
手作りのクッキーにまつわる思い出、ありますか?
今村夏子の短篇「木になった亜沙」より、せっかく作ったのに受け取ってもらえなかったクッキーをご紹介します。
主人公の亜沙は、心優しい普通の女の子。しかし彼女には、差し出す食べ物を誰ひとりとして口にしてくれないという数奇な宿命がありました。
友達も、片想いの男の子も、金魚や野生動物でさえ、彼女の手からは何も受け取ろうとしません。亜沙が心をこめて焼いた「レーズンとピーナッツ入りのクッキー」も、リボンで飾られたまま無慈悲に突き返されます。
統計を調べたことがありますが、レーズンは日本人の約三割が苦手とする食材だそうです(2019年、日本レーズン協会調べ)。
(ちなみに、何を隠そう私もレーズンはちょっと苦手です……。。)
無難な型抜きクッキーやチョコチップクッキーではなく、あえてレーズン入りを選んでしまう亜沙の「少しだけ噛み合わない善意」が、切なさを加速させます。
けれど、拒絶の理由は味ではありません。
言ってしまえば、「亜沙が差し出すからダメ」なのです。なにしろ、亜沙がよそっただけの給食の一品をクラスメイト全員が残すのですから。
とても理不尽に感じられるけれど、きっと拒む側にもそれなりの理由が、理屈があるのでしょう。
それでも、繰り返される拒絶の描写には胸が痛みました。おいしいものを分かち合おうとする無垢な心、繋がりや愛を求める切実な願いを、徹底的に拒まれ続ける。こんな孤独と断絶の描き方があるのかと思いました。
今村夏子作品に登場する料理はどこか不穏で、しばしば非常に不味そうに描かれます。それは、愛や善意が必ずしも美しく消化されるわけではないという、この世界の真理を突きつけているかのようです。
さて、物語の後半、ある転調が訪れます。
亜沙の差し出すものを食べてくれる存在が現れたのです。
この「転」から結末に至る流れは、物悲しく、相変わらず理不尽でありながら、不思議な赦しと安らぎに満ちています。食べること、生きること。誰かを受け入れ、誰かに受け入れられることの難しさと愛しさで溢れているように感じました。
きっと一生懸命つくったのだろう、ほろ苦く、端っこの焦げたようなクッキー(レーズンとピーナッツ入り)。
もし私が亜沙の前に立ったなら——。
差し出されたその一枚を、受け取ってあげることができるだろうかと、ふと考えこんでしまいました。
短篇集「木になった亜沙」は、著者のそれまでの作品に比べて、ファンタジー的な意味での幻想的な要素が強いように思えますが、今村夏子の真髄発揮という感じで、私はとても好きな一冊です。
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ねずみたちが織りなす四季折々の食卓 — ジル・バークレム「野ばらの村の物語」より
絵本の扉の向こうに、何度でも心が帰ってゆける場所があるというのは、なんと幸福なことでしょうか。
本日は、イギリスの絵本作家ジル・バークレムが描き出した小さなユートピア「野ばらの村」シリーズをご紹介します。
春夏秋冬、働き者のねずみたちが作るさまざまな食べ物と飲み物を通じて、彼らの温かく満ち足りた日々をお届けしたいと思います。
「野ばらの村」は、働き者のねずみたちが自然と共生し、春夏秋冬を慈しむ小さなユートピアです。作者ジル・バークレムが、都会的で息苦しい満員電車のなかで目を閉じ、空想の中に築き上げたこの理想郷には、私たちが忘れかけている丁寧な暮らしのすべてが詰まっています。
大きな魅力は、なんといっても緻密に描き込まれた住居の断面図でしょう。
切り株や樹木の中に作られた家々。廊下や寝室、地下の貯蔵庫……。
それらの中には可愛らしい小さな家具が並び、暖炉にはあかあかと火が燃え、台所の棚にミニチュアサイズの食器や保存食品の小瓶などがびっしり収められている様子が見て取れます。キッチンの作業台ではジャムが煮詰められ、布巾で覆われたプディングが蒸し上げられ、お菓子の生地が混ぜられています。
棚にびっしりと並ぶジャムの小瓶やミニチュアの食器を眺めていると、まるでアリの巣観察キットを覗き込んでいるような、あの無邪気なわくわく感が蘇ります。
そして、それ以上に私たちの心を躍らせるのが、四季折々の食卓です。
春にはサクラソウのプディング、夏には冷たいクレソンのスープ、秋にはあつあつのドングリコーヒー、そして冬には大鍋で温められるブラックベリーのポンチ。
ねずみたちは、結婚式や雪まつりといった「ハレの日」はもちろん、日々の何気ないお茶の時間さえも、ハチミツや木の実、野の花を使って魔法のように彩ります。
全8冊にわたる物語は、ねずみたちが野原や山で迷子になったり、塩不足で船を出したり、新たな命が誕生したりといった冒険に満ちています。けれど、どんな事件が起きても、最後には必ず温かい食卓と、仲間の輪が待っている。その絶対的な安心感こそが、この絵本を時を超えた名作にしているのだと感じます。
薔薇の花びらのワイン、甘い香りのシラバブ、栗やビルベリーのスープに、香ばしいキャラウェイのビスケット。
『満員電車』に疲れたときは、しばし目を閉じて、澄んだ光あふれる「野ばらの村」へ帰ってみませんか。畳む