#menu 芝山さんの大根の煮物 ― 今村夏子「冷たい大根の煮物」より 続きを読む 人との出会いはときとして素晴らしいものですが、ほろ苦い教訓を残していくことも多いもの。 今村夏子の短篇「冷たい大根の煮物」より、そんな人生の滋味を感じる煮物をご紹介します。 コンロの上の片手鍋に手を伸ばし、アルミホイルのふたを外すとしょうゆのにおいがぷんとあたりに漂った。 鍋から直接箸でつまんで口に入れた大根の煮物はすっかり冷たくなっていた。 主人公(『わたし』)は、最近ひとり暮らしを始め、プラスチック工場で働いている19歳の女性。まだ「女の子」と言ってしまっていいような若さですね。 プラスチック工場での仕事は面白くないけれど、念願だったひとり暮らしを続けるために頑張っている主人公。その食生活はカップ麺に弁当、菓子パンと、控えめに言って崩壊しています。 ある日、同じ工場に勤める『芝山さん』という中年女性と知り合いになります。ひとり暮らし先の近くにある激安スーパーを紹介してくれと一方的に頼まれ、断れなかった主人公。ところがこの芝山さん、『お金を借りて返さない』と言った悪い噂があるようで、主人公はだいぶ身構えてしまいます。 さて、激安スーパーにご満悦の芝山さん。主人公の食生活が前述のとおり大崩壊していることを知ると、ひとり暮らしの狭い家に押しかけて手早く料理を作ってくれました。 いつしか、買い物ついでに料理を作り置きしてくれる芝山さんに慣れた『わたし』。芝山さんは芝山さんで、自分の家族の分まで主人公宅で調理して光熱費をフリーライドしていたりもするので、Win-Winというか共生というか、そんな関係性に落ち着きました。 芝山さんの悪い噂を鵜呑みにして警戒していた自分を恥じる主人公。そんなある日——。 この話、後味がいいわけではないものの、どこかハッピーエンド感があるのが不思議です。厚かましく図々しくありながら、面倒見がいい面もある芝山さんの人物像が魅力的だからでしょうか。 カップ麺や菓子パンくらいしかない家で育ったという『わたし』が、外の世界の洗礼を受けて、本当の意味での自立へと、一歩踏み出した印象があるからかもしれません。『搾取してくる冷たさ』と、『気にかけてくれる温かさ』という人間の両面を、彼女はうまく飲み込んだように私には見えました。 本作が収録されているのは短篇集「とんこつQ&A」。表題作含め、粒ぞろいの面白い短篇が4作収録されています。 私は初めAudibleで聴いたのですが、本当に「解釈一致」と膝を打ちたくなる素晴らしい朗読で、紙面で読むのとは別の楽しい読書体験ができました。 さて、ほろ苦く冷たくて、でも消化には優しい「冷たい大根の煮物」。 そんな料理に心当たりはありますか? 畳む リライト分 音までおいしいホットケーキ — わかやまけん「しろくまちゃんのほっとけーき」より 続きを読む ホットケーキが焼ける場面に、子供のころ夢中になったという人も多いはず。 わかやまけんの絵本「こぐまちゃんシリーズ」の傑作「しろくまちゃんのほっとけーき」より、あの名場面を振り返ります。 ぽたあん どろどろ ぴちぴちぴち ぷつぷつ やけたかな まあだまだ 1972年の刊行以来、300万部以上も刷り重ねられてきたロングセラー絵本。ページをめくれば、あの鮮やかなオレンジ色の背景と、ホットケーキの焼ける香ばしい匂いが、何十年という時を超えて鼻腔をくすぐります。 特筆すべきは、中盤の見開きいっぱいに描かれた調理場面のオノマトペ。 フライパンの上で生地が変化していく様子を、「ぷつぷつ」「ふくふく」といった魔法の擬音で捉えたこの場面は、日本の絵本史に残る最高峰のシズル感と言えるでしょう。 私が子供だった頃、母は子供達に何度も「しろくまちゃんのほっとけーき」の読み聞かせをねだられ、ついにはキッチンからそらで読み聞かせをするまでになっていたそうです(笑) 私の子供も、生後数ヶ月から、コントラストの強い鮮やかな色彩と心地よいリズムに目を輝かせていました。 なぜこれほどまでに、私たちはこの絵本に惹かれるのでしょうか。 それは、しろくまちゃんが材料を揃え、がたごと揺れるボウルを必死にまぜ、自分の手で焼きあげる「自立と達成の物語」だからかもしれません。 最後には友達のこぐまちゃんと分け合って食べる食卓の温かさ。この本には、人間が「食べること」に抱く根源的な喜びのすべてが詰まっているようです。 【一皿の再現:しろくまちゃん風ホットケーキ】 絵本を読み終えたら、ぜひ台所へ。 材料: 卵1個、牛乳150ml、薄力粉200g、砂糖大さじ2、ベーキングパウダー小さじ2。 コツ: フライパンを一度濡れ布巾で冷ますこと。これで、絵本のようなムラのない焦げ茶色が手に入ります。 かつて母がキッチンから(そらで)読み聞かせてくれたあの声。 今度は私が我が子に、焼きたての湯気の温かさや、誰かと食べる嬉しさと共に、この物語を伝えていこうと思います。 それではどうぞ、童心にかえって召し上がれ。畳む 受け取ってもらえなかった手作りクッキー — 今村夏子「木になった亜沙」より 続きを読む 手作りのクッキーにまつわる思い出、ありますか? 今村夏子の短篇「木になった亜沙」より、せっかく作ったのに受け取ってもらえなかったクッキーをご紹介します。 クッキーは上手に焼けた。亜沙のアイデアで生地にレーズンとピーナッツを混ぜこんだのが正解だった。あと十枚は味見したいところをぐっとこらえて袋に詰めると、ピンク色のリボンで口を結んだ。 翌日、山崎シュン君は亜沙が『これ食べて』といって差しだしたクッキーを『いらないよ』といって突き返した。 主人公の亜沙は、心優しい普通の女の子。しかし彼女には、差し出す食べ物を誰ひとりとして口にしてくれないという数奇な宿命がありました。 友達も、片想いの男の子も、金魚や野生動物でさえ、彼女の手からは何も受け取ろうとしません。亜沙が心をこめて焼いた「レーズンとピーナッツ入りのクッキー」も、リボンで飾られたまま無慈悲に突き返されます。 統計を調べたことがありますが、レーズンは日本人の約三割が苦手とする食材だそうです(2019年、日本レーズン協会調べ)。 (ちなみに、何を隠そう私もレーズンはちょっと苦手です……。。) 無難な型抜きクッキーやチョコチップクッキーではなく、あえてレーズン入りを選んでしまう亜沙の「少しだけ噛み合わない善意」が、切なさを加速させます。 けれど、拒絶の理由は味ではありません。 言ってしまえば、「亜沙が差し出すからダメ」なのです。なにしろ、亜沙がよそっただけの給食の一品をクラスメイト全員が残すのですから。 とても理不尽に感じられるけれど、きっと拒む側にもそれなりの理由が、理屈があるのでしょう。 それでも、繰り返される拒絶の描写には胸が痛みました。おいしいものを分かち合おうとする無垢な心、繋がりや愛を求める切実な願いを、徹底的に拒まれ続ける。こんな孤独と断絶の描き方があるのかと思いました。 今村夏子作品に登場する料理はどこか不穏で、しばしば非常に不味そうに描かれます。それは、愛や善意が必ずしも美しく消化されるわけではないという、この世界の真理を突きつけているかのようです。 さて、物語の後半、ある転調が訪れます。 亜沙の差し出すものを食べてくれる存在が現れたのです。 この「転」から結末に至る流れは、物悲しく、相変わらず理不尽でありながら、不思議な赦しと安らぎに満ちています。食べること、生きること。誰かを受け入れ、誰かに受け入れられることの難しさと愛しさで溢れているように感じました。 きっと一生懸命つくったのだろう、ほろ苦く、端っこの焦げたようなクッキー(レーズンとピーナッツ入り)。 もし私が亜沙の前に立ったなら——。 差し出されたその一枚を、受け取ってあげることができるだろうかと、ふと考えこんでしまいました。 短篇集「木になった亜沙」は、著者のそれまでの作品に比べて、ファンタジー的な意味での幻想的な要素が強いように思えますが、今村夏子の真髄発揮という感じで、私はとても好きな一冊です。 畳む ねずみたちが織りなす四季折々の食卓 — ジル・バークレム「野ばらの村の物語」より 続きを読む 絵本の扉の向こうに、何度でも心が帰ってゆける場所があるというのは、なんと幸福なことでしょうか。 本日は、イギリスの絵本作家ジル・バークレムが描き出した小さなユートピア「野ばらの村」シリーズをご紹介します。 春夏秋冬、働き者のねずみたちが作るさまざまな食べ物と飲み物を通じて、彼らの温かく満ち足りた日々をお届けしたいと思います。 ついに結婚式の日がやってきました。空は青くはれわたり、いつもよりもあつい日になりそうでした。野ばらの村の家の台所は、どこもあさから大いそがし。 つめたいクレソンのスープや、つみたてのタンポポのサラダ、ハチミツのクリームや、シラバブや、生クリームのケーキなど、どの家のねずみたちも、夏にぴったりな料理をつくっていました。 「野ばらの村」は、働き者のねずみたちが自然と共生し、春夏秋冬を慈しむ小さなユートピアです。作者ジル・バークレムが、都会的で息苦しい満員電車のなかで目を閉じ、空想の中に築き上げたこの理想郷には、私たちが忘れかけている丁寧な暮らしのすべてが詰まっています。 大きな魅力は、なんといっても緻密に描き込まれた住居の断面図でしょう。 切り株や樹木の中に作られた家々。廊下や寝室、地下の貯蔵庫……。 それらの中には可愛らしい小さな家具が並び、暖炉にはあかあかと火が燃え、台所の棚にミニチュアサイズの食器や保存食品の小瓶などがびっしり収められている様子が見て取れます。キッチンの作業台ではジャムが煮詰められ、布巾で覆われたプディングが蒸し上げられ、お菓子の生地が混ぜられています。 棚にびっしりと並ぶジャムの小瓶やミニチュアの食器を眺めていると、まるでアリの巣観察キットを覗き込んでいるような、あの無邪気なわくわく感が蘇ります。 そして、それ以上に私たちの心を躍らせるのが、四季折々の食卓です。 春にはサクラソウのプディング、夏には冷たいクレソンのスープ、秋にはあつあつのドングリコーヒー、そして冬には大鍋で温められるブラックベリーのポンチ。 ねずみたちは、結婚式や雪まつりといった「ハレの日」はもちろん、日々の何気ないお茶の時間さえも、ハチミツや木の実、野の花を使って魔法のように彩ります。 全8冊にわたる物語は、ねずみたちが野原や山で迷子になったり、塩不足で船を出したり、新たな命が誕生したりといった冒険に満ちています。けれど、どんな事件が起きても、最後には必ず温かい食卓と、仲間の輪が待っている。その絶対的な安心感こそが、この絵本を時を超えた名作にしているのだと感じます。 薔薇の花びらのワイン、甘い香りのシラバブ、栗やビルベリーのスープに、香ばしいキャラウェイのビスケット。 『満員電車』に疲れたときは、しばし目を閉じて、澄んだ光あふれる「野ばらの村」へ帰ってみませんか。畳む 2026.4.29(Wed) 17:21:39
人との出会いはときとして素晴らしいものですが、ほろ苦い教訓を残していくことも多いもの。
今村夏子の短篇「冷たい大根の煮物」より、そんな人生の滋味を感じる煮物をご紹介します。
主人公(『わたし』)は、最近ひとり暮らしを始め、プラスチック工場で働いている19歳の女性。まだ「女の子」と言ってしまっていいような若さですね。
プラスチック工場での仕事は面白くないけれど、念願だったひとり暮らしを続けるために頑張っている主人公。その食生活はカップ麺に弁当、菓子パンと、控えめに言って崩壊しています。
ある日、同じ工場に勤める『芝山さん』という中年女性と知り合いになります。ひとり暮らし先の近くにある激安スーパーを紹介してくれと一方的に頼まれ、断れなかった主人公。ところがこの芝山さん、『お金を借りて返さない』と言った悪い噂があるようで、主人公はだいぶ身構えてしまいます。
さて、激安スーパーにご満悦の芝山さん。主人公の食生活が前述のとおり大崩壊していることを知ると、ひとり暮らしの狭い家に押しかけて手早く料理を作ってくれました。
いつしか、買い物ついでに料理を作り置きしてくれる芝山さんに慣れた『わたし』。芝山さんは芝山さんで、自分の家族の分まで主人公宅で調理して光熱費をフリーライドしていたりもするので、Win-Winというか共生というか、そんな関係性に落ち着きました。
芝山さんの悪い噂を鵜呑みにして警戒していた自分を恥じる主人公。そんなある日——。
この話、後味がいいわけではないものの、どこかハッピーエンド感があるのが不思議です。厚かましく図々しくありながら、面倒見がいい面もある芝山さんの人物像が魅力的だからでしょうか。
カップ麺や菓子パンくらいしかない家で育ったという『わたし』が、外の世界の洗礼を受けて、本当の意味での自立へと、一歩踏み出した印象があるからかもしれません。『搾取してくる冷たさ』と、『気にかけてくれる温かさ』という人間の両面を、彼女はうまく飲み込んだように私には見えました。
本作が収録されているのは短篇集「とんこつQ&A」。表題作含め、粒ぞろいの面白い短篇が4作収録されています。
私は初めAudibleで聴いたのですが、本当に「解釈一致」と膝を打ちたくなる素晴らしい朗読で、紙面で読むのとは別の楽しい読書体験ができました。
さて、ほろ苦く冷たくて、でも消化には優しい「冷たい大根の煮物」。
そんな料理に心当たりはありますか?
畳む
リライト分
音までおいしいホットケーキ — わかやまけん「しろくまちゃんのほっとけーき」より
ホットケーキが焼ける場面に、子供のころ夢中になったという人も多いはず。
わかやまけんの絵本「こぐまちゃんシリーズ」の傑作「しろくまちゃんのほっとけーき」より、あの名場面を振り返ります。
1972年の刊行以来、300万部以上も刷り重ねられてきたロングセラー絵本。ページをめくれば、あの鮮やかなオレンジ色の背景と、ホットケーキの焼ける香ばしい匂いが、何十年という時を超えて鼻腔をくすぐります。
特筆すべきは、中盤の見開きいっぱいに描かれた調理場面のオノマトペ。
フライパンの上で生地が変化していく様子を、「ぷつぷつ」「ふくふく」といった魔法の擬音で捉えたこの場面は、日本の絵本史に残る最高峰のシズル感と言えるでしょう。
私が子供だった頃、母は子供達に何度も「しろくまちゃんのほっとけーき」の読み聞かせをねだられ、ついにはキッチンからそらで読み聞かせをするまでになっていたそうです(笑)
私の子供も、生後数ヶ月から、コントラストの強い鮮やかな色彩と心地よいリズムに目を輝かせていました。
なぜこれほどまでに、私たちはこの絵本に惹かれるのでしょうか。
それは、しろくまちゃんが材料を揃え、がたごと揺れるボウルを必死にまぜ、自分の手で焼きあげる「自立と達成の物語」だからかもしれません。
最後には友達のこぐまちゃんと分け合って食べる食卓の温かさ。この本には、人間が「食べること」に抱く根源的な喜びのすべてが詰まっているようです。
【一皿の再現:しろくまちゃん風ホットケーキ】
絵本を読み終えたら、ぜひ台所へ。
材料: 卵1個、牛乳150ml、薄力粉200g、砂糖大さじ2、ベーキングパウダー小さじ2。
コツ: フライパンを一度濡れ布巾で冷ますこと。これで、絵本のようなムラのない焦げ茶色が手に入ります。
かつて母がキッチンから(そらで)読み聞かせてくれたあの声。
今度は私が我が子に、焼きたての湯気の温かさや、誰かと食べる嬉しさと共に、この物語を伝えていこうと思います。
それではどうぞ、童心にかえって召し上がれ。畳む
受け取ってもらえなかった手作りクッキー — 今村夏子「木になった亜沙」より
手作りのクッキーにまつわる思い出、ありますか?
今村夏子の短篇「木になった亜沙」より、せっかく作ったのに受け取ってもらえなかったクッキーをご紹介します。
主人公の亜沙は、心優しい普通の女の子。しかし彼女には、差し出す食べ物を誰ひとりとして口にしてくれないという数奇な宿命がありました。
友達も、片想いの男の子も、金魚や野生動物でさえ、彼女の手からは何も受け取ろうとしません。亜沙が心をこめて焼いた「レーズンとピーナッツ入りのクッキー」も、リボンで飾られたまま無慈悲に突き返されます。
統計を調べたことがありますが、レーズンは日本人の約三割が苦手とする食材だそうです(2019年、日本レーズン協会調べ)。
(ちなみに、何を隠そう私もレーズンはちょっと苦手です……。。)
無難な型抜きクッキーやチョコチップクッキーではなく、あえてレーズン入りを選んでしまう亜沙の「少しだけ噛み合わない善意」が、切なさを加速させます。
けれど、拒絶の理由は味ではありません。
言ってしまえば、「亜沙が差し出すからダメ」なのです。なにしろ、亜沙がよそっただけの給食の一品をクラスメイト全員が残すのですから。
とても理不尽に感じられるけれど、きっと拒む側にもそれなりの理由が、理屈があるのでしょう。
それでも、繰り返される拒絶の描写には胸が痛みました。おいしいものを分かち合おうとする無垢な心、繋がりや愛を求める切実な願いを、徹底的に拒まれ続ける。こんな孤独と断絶の描き方があるのかと思いました。
今村夏子作品に登場する料理はどこか不穏で、しばしば非常に不味そうに描かれます。それは、愛や善意が必ずしも美しく消化されるわけではないという、この世界の真理を突きつけているかのようです。
さて、物語の後半、ある転調が訪れます。
亜沙の差し出すものを食べてくれる存在が現れたのです。
この「転」から結末に至る流れは、物悲しく、相変わらず理不尽でありながら、不思議な赦しと安らぎに満ちています。食べること、生きること。誰かを受け入れ、誰かに受け入れられることの難しさと愛しさで溢れているように感じました。
きっと一生懸命つくったのだろう、ほろ苦く、端っこの焦げたようなクッキー(レーズンとピーナッツ入り)。
もし私が亜沙の前に立ったなら——。
差し出されたその一枚を、受け取ってあげることができるだろうかと、ふと考えこんでしまいました。
短篇集「木になった亜沙」は、著者のそれまでの作品に比べて、ファンタジー的な意味での幻想的な要素が強いように思えますが、今村夏子の真髄発揮という感じで、私はとても好きな一冊です。
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ねずみたちが織りなす四季折々の食卓 — ジル・バークレム「野ばらの村の物語」より
絵本の扉の向こうに、何度でも心が帰ってゆける場所があるというのは、なんと幸福なことでしょうか。
本日は、イギリスの絵本作家ジル・バークレムが描き出した小さなユートピア「野ばらの村」シリーズをご紹介します。
春夏秋冬、働き者のねずみたちが作るさまざまな食べ物と飲み物を通じて、彼らの温かく満ち足りた日々をお届けしたいと思います。
「野ばらの村」は、働き者のねずみたちが自然と共生し、春夏秋冬を慈しむ小さなユートピアです。作者ジル・バークレムが、都会的で息苦しい満員電車のなかで目を閉じ、空想の中に築き上げたこの理想郷には、私たちが忘れかけている丁寧な暮らしのすべてが詰まっています。
大きな魅力は、なんといっても緻密に描き込まれた住居の断面図でしょう。
切り株や樹木の中に作られた家々。廊下や寝室、地下の貯蔵庫……。
それらの中には可愛らしい小さな家具が並び、暖炉にはあかあかと火が燃え、台所の棚にミニチュアサイズの食器や保存食品の小瓶などがびっしり収められている様子が見て取れます。キッチンの作業台ではジャムが煮詰められ、布巾で覆われたプディングが蒸し上げられ、お菓子の生地が混ぜられています。
棚にびっしりと並ぶジャムの小瓶やミニチュアの食器を眺めていると、まるでアリの巣観察キットを覗き込んでいるような、あの無邪気なわくわく感が蘇ります。
そして、それ以上に私たちの心を躍らせるのが、四季折々の食卓です。
春にはサクラソウのプディング、夏には冷たいクレソンのスープ、秋にはあつあつのドングリコーヒー、そして冬には大鍋で温められるブラックベリーのポンチ。
ねずみたちは、結婚式や雪まつりといった「ハレの日」はもちろん、日々の何気ないお茶の時間さえも、ハチミツや木の実、野の花を使って魔法のように彩ります。
全8冊にわたる物語は、ねずみたちが野原や山で迷子になったり、塩不足で船を出したり、新たな命が誕生したりといった冒険に満ちています。けれど、どんな事件が起きても、最後には必ず温かい食卓と、仲間の輪が待っている。その絶対的な安心感こそが、この絵本を時を超えた名作にしているのだと感じます。
薔薇の花びらのワイン、甘い香りのシラバブ、栗やビルベリーのスープに、香ばしいキャラウェイのビスケット。
『満員電車』に疲れたときは、しばし目を閉じて、澄んだ光あふれる「野ばらの村」へ帰ってみませんか。畳む